2022年の大河ドラマに決定した『鎌倉殿の13人』。
北条義時役を小栗旬さんが演じることでも話題となっています。
2012年の平清盛以来の鎌倉時代の大河ドラマですね。
一見すると、源頼朝や織田信長ほど有名な武将ではないのですが、今回大河ドラマの主人公として選ばれたようです。
そんな北条義時について、その生涯や著名な事件等をまとめました。
北条義時とは?『鎌倉殿の13人』って?
北条義時は鎌倉幕府の初代執権・北条時政の次男として生まれました。
執権とは将軍の補佐役であり、幕府の実質的なNo2といえます。
また姉の政子が源頼朝と結婚したため、頼朝とは義兄弟となりました。
頼朝の死後、2代将軍・頼家の独裁を止めるために、幕府の政務を有力者の合議で行う十三人の合議制が発足します。
義時や父親・時政も、ここに加わります。
今回の大河の題名『鎌倉殿の13人』はここから来ていると考えられます。
北条義時、父・時政との確執とは?
父親である時政が幕府での地位を盤石なものとしてき実権を握りますが、その身勝手な行動から時政と義時の親子関係は悪化します。
義時は姉の政子と協力し、時政を追放してしまいます。
実の父親を追放してしまうとはなんとも大胆な姉弟です。
父親の追放後、2代目の執権となると実権を握り、今度は義時自身が次第に独裁的な政治を展開していくようになります。
ついに、承久の乱!指導者は北条義時
義時が実権を握っていく中で朝廷(天皇)との関係は次第に悪化して行きます。
ついに1221年に後鳥羽上皇が義時の追討の宣旨が発布されると幕府軍と朝廷軍の間で戦争となりました。
これが有名な「承久の乱」です。
それまで朝廷に歯向かい勝利した者はいなかったため、幕府の中は混乱することになります。
この時、姉の政子が御家人の前で演説を行い幕府を一つにまとめた話は有名です。
その結果、承久の乱は約1ヶ月で幕府軍の勝利というかたちで終わります。
後鳥羽上皇は島流しの刑となりました。
承久の乱は武士が朝廷(天皇)に勝利した唯一の戦いでありその指導者が義時であるといえます。
ドラマではこのあたりが最大の見せ場になると思われます。
北条義時、ついにその生涯に幕を閉じる
承久の乱の3年後義時は62歳で亡くなります。
父親を追放し、その後も前代未聞の朝廷との戦での勝利など、波乱万丈な人生に幕を閉じました。
おわりに
いかがでしたか?
大河ドラマ開始まではまだ2年ありますが、興味を持たれた方は是非チェックしてみるのはいかがでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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